浜の七福神

九十九里『浜の七福神』
地域の背景

本地域の位置する九十九里平野は、日本でも最大級の完新世海岸平野であり、今からおよそ6000年前の縄文時代前期の縄文海進極相期以降に形成され、その後、海進(海水面が高くなり陸地側に海が進入する状態)と海退(海水面が低くなり海が退いた状態)を繰り返し、古墳期以降(西暦500年頃)に現在の地形が形成されました。このため、七福神の各寺社周辺の標高は0〜5mの低位平坦な地形となっています。又、人が住み始めたのは陸地となってからおよそ100年後の西暦600年以降であり、陸地としての歴史が浅く、七福神の各寺社もそれ以降建立されたものです。地域の変遷が同じため、地域全体の産業構造も類似しており、古くから農業と漁業が産業の中心になってきました。七福神信仰の始まった室町時代の後期(西暦1500年頃)の産業も農業と漁業が中心であったことから地域の住民も、元々信仰者の中心を担ってきた農民・漁民がほとんどであったこと、加えて海の神として七福神信仰が地域に根付いてきたものと推察されます。この地域から生まれた偉人も数多く、日本地図製作者の伊能忠敬や歌人の伊藤左千夫、俳人の前田粋羅など又、高村光太郎の智恵子抄、芥川龍之介の縁の地等、七福神めぐりのルート周辺には名所・史跡も数多くあります。

特産品めぐりをしたり、お酒好きの方は酒蔵めぐりなども加えると観光ルートとして楽しむこともできます。

七福神信仰

七福神の信仰は室町時代の末期に始まり、当時の庶民性に合致して民間信仰のもっとも完全な形となって育てられてきました。特に農民・漁民の間で信仰され現代に伝承されてきました。

七福神のうち、大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊は仏教、寿老人・福禄寿は中国の道教・神仙観、恵比寿神は日本神道の出身とされています。仏教を中心として中国宗教と混合して出現したのが七福神と称されており、信仰七種の徳を支配する神として盛んになり、中国より伝来した思想と、古来より日本で信じられていた俗信が、仏教思想を基に入り混じって生じた信仰であると伝えられています。

七福神の語源は「仁王教」の中にある「七難即滅七福即生」から称されたものといわれ、七福神をお参りすると七つの災難が除かれ七つの幸福が授かるといわれております。

恵比寿
八坂神社(九十九里町)

七福神唯一の日本の神様で、漁業・商売繁盛の神として信仰されています。

恵比寿

大黒天
五所神社(蓮沼村)

大地を掌握する神様といわれ、財宝・福徳海運の神として信仰されています。

大黒天

布袋尊
四社神社(横芝町)

弥勒菩薩の化身といわれ、笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰されています。

布袋尊

毘沙門天
真光寺(白子町)

仏教四天王の一人で七福神中唯一武将の姿をしており融通招福の神として信仰されています。

毘沙門天

寿老人
要行寺(大網白里町)

南極星の化身で、不老不死の霊薬を持つといわれ、長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。

寿老人

福禄寿
観明寺(一宮町)

長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神として信仰されています。

福禄寿

弁財天
(長生村)

七福神中、唯一の女神であり、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれています。

弁財天